& SM調教 本当のところ 200704
無料
エロ
動画

日常と調教の境界線

2007.04.30 Mon

調教を経験した事がないM女性が、想像できない事のひとつに、
自分は主人と接しているときはいつも奴隷扱いなのか・・という事があります。

どの時点から主従関係がはじまるのか分からない、ということです。

例えば、食事に行ったとします。
食事をしている最中は、普通の恋人のような関係でいいのでしょうか。

そしてホテルに入り調教に入った途端、主人と奴隷という関係になるのでしょうか。

確かに、食事中に「はい、ご主人様」などと言っていたら、人によっては笑ってしまうかもしれません。



日常にSMを持ち込むのは滑稽で不可能である、という考え方があります。
M女性の側に、今まで築き上げた生活圏がある場合、特にそれが顕著です。

一方で、日常をも支配されたい、というM女性もいます。
普段からの支配がなければ、とても主人についていくことはできない、と。

どちらの考え方も間違ってはいないと思います。

普通に会話できる瞬間がなくて、なにが主従関係なのか、と感じる人もいれば、
あくまでも支配を優先させ、その中で自分を認めて貰いたい人もいるのです。

ちなみに私の場合、
長く調教した奴隷は、日常の中でも主従関係を崩そうとはしません。


堅苦しいものではなく、自然な主従です。




さまざまなSMリンク集です

感想等はこちら

ページトップへ戻る



  1. 2007/04/30(月) 21:42:11|
  2. SM|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

大人の女の表情とは

2007.04.21 Sat

東京は四月なのに寒い日が続いていましたね。
せっかくの露出日和が台無しです。

さて前のエントリーに続き、表情に関係する話です。

ある女性は調教を始めると、恥ずかしさのあまりどうしても笑みを浮かべてしまう。

照れ笑いというものです。

調教に一歩足を踏み入れると、どうしても微笑んでしまう。
わたしからすると、調教中に照れ笑いはいらない、と感じます。

「脚を開きなさい」と命じ、それに照れ笑いで応じるシーン。

もちろん、ノーマルなセックスをする際、女性が照れ笑いする分には何の問題もないだろうし、かえって可愛らしくみえるのかもしれません。

ですが、目の前に繰り広げられるリアルな調教になった途端、ダメになってしまうのはとても不思議です。

恥ずかしさを必死で耐えている表情に惹かれているからでしょうか。

命令に応えるには相応しくない表情だからでしょうか。

もしかすると、単に私の好みの問題かもしれませんね。


恥ずかしく感じる心だけを持ちつつ、照れ笑いしてはいけない、と命じたいものです。

調教をしていると、すぐ直る癖と、そうではないものがあります。
性格に深く根ざしているものほど、躾けるのに時間がかかりますね。

照れ笑いなら、ほとんどの場合すぐに直り、逆に魅力的な表情が生まれる事があります。
それは大人の女の表情です。



さまざまなSMリンク集です

感想等はこちら>

ページトップへ戻る

  1. 2007/04/21(土) 21:52:48|
  2. SM|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

感情のツボ

2007.04.13 Fri

Sからすると、奴隷の反応は、調教の愉しみの一つ。

恥ずかしい行為を命じ、恥じらっている様子。

罰を与られて必死で耐えている様子。

喜んで奉仕している様子。

叱られて涙ぐんでいる様子。

そういう「奴隷」という身分に没入している様子を観察しつつ、
次はどうしてやろうかと思案します。
思案した結果、さらに厳しく辱めたりする場合もあれば、
優しく抱擁することもあります。

調教はそういう感情のツポを押したり引いたりする行為だと思います。
いかに奴隷の感情を表にだすか・・それに至る道筋を考えるのが、Sかもしれません。

嬉しくて泣いたと思ったら、叱られて泣き、感謝して泣き、
優しさに泣き、痛みに泣き、快感で泣く・・。
泣いてばかりの奴隷もいるのです。

抑制しているものをはずし、心を裸にするがごとく感情を出すことができなければ、
本当の快楽など味わえるべくもありません。

そして感情を出すことを次第に覚えるにつれ、M性も開花していく。


個人的な嗜好を言えば、涙を見せる奴隷には惹かれます。
「泣くな」と命じることですが、それを好んでしまうのです。



さまざまなSMリンク集です

感想等はこちら

ページトップへ戻る

  1. 2007/04/13(金) 01:15:53|
  2. SM|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

他人の目を気にしてしまう

2007.04.07 Sat

嫌われたくないから・・の話を続けてみようと思います。
今度は絵里というM女性の話です。

絵里は毎日社会で生きていくのが辛い、と感じていました。
他人の目を極端に気にしてしまうタイプです。

他人の目を気にする、ということは、
なにをするにも、
他の人から、こう思われるから、やめよう、とか
〜さんが〜と言われたから、〜しよう、とか
自分の思う通りに生きるのではなく、他人が行動基準。

他人に合わせるのは、自分が傷つきたくないからで、
弱く自信のない自分をがっちりとガードしています。

傷つきたくないので、本当の自分を他人に見せることもありません。
そのため、なかなか気の許せる友達ができない。
A子さんが、周りの人に人気がある事と対照的です。

そんな事を長年繰り返している内に、
絵里は自分の「意見」すら忘れてしまい、
自分が無い状態が、普通になっていたのです。

絵里は、すべての行動基準が「他人」なので、
自分を殺して、他人に合わせなければいけません。
そのため「自分」がない状態で、生きることを辛く感じていたのです。


絵里は人生の道標になるものが欲しい、と言っていました。
主人の命令に従い、唯一人の主人の支配に浸りたいとも。

他者に依存してきた絵里には主従は安楽の場所なのです。
支配されている間は、心から安堵し、辛さは消えていきます。

しかし、私に依存させるような調教をする事は、本人の根本的な解決にはなりません。
また、それは私の調教主旨に反します。

私の調教が、好みのM女に躾けあげるのが事だとすれば、
自立した心、他者に依存しない心を躾けたいものです。
本人にとってもそれが一番幸せでしょう。






さまざまなSMリンク集です

ページトップへ戻る
  1. 2007/04/07(土) 20:40:48|
  2. SM|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

拘束

2007.04.02 Mon

縛られている女性。

不自由な姿形、拘束され固定されたポーズ。
そこには拘束具で感じることの出来ない、美しさがあると思います。

拘束された状態では、もちろん身動きがとれません。
全ての選択権を主人に委ねている状態です。

M字開脚などの性器を露出した格好で縛られれば、どんな恥ずかしい行為でも受け入れなくてはなりません。
もしかすると尻に鞭を打たれるかもしれません。
そのまま奉仕を命ぜられるかもしれません。

どうにでもされてしまう可能性の被虐感。
自分の意思で、自分の身体を晒し出すのです。
そういった可能性を想像するからこそ、縛られた女性は、それだけで濡らしてしまいます。

奴隷の心内には、先にある可能性を考えても答えが出てこないため、期待感と不安感が交差します。

そして、そういう気持ちは表情にあらわれます。
縛られた女性は、その姿形だけではなく、表情もエロティックです。


もしかすると、
何かされてしまう、と思っているのに、
縛ったまま何もされないことがあるかもしれません。

奴隷は床に。
主人は椅子に。
何もせず、ただゆっくりと観賞される。そういった時間が与えられる。

何もされない、ということは、複雑な感情が先延ばしされる、ということ。
それはそれで立派な責めの一種になってしまうのかもしれませんね。



さまざまなSMリンク集です

感想等はこちら

ページトップへ戻る
  1. 2007/04/02(月) 23:47:42|
  2. 快楽|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5

プロフィール

宗夜 -shuuya-

Category

Archives

Recent Comments

Recent Trackbacks

カレンダー

03 | 2007/04 | 05
Su Mo Tu We Th Fr Sa
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

Recent Entries

Links



利用規約

このブログを通報

Report Abuse


エログ

フルHDエロ動画

ブログ

チャットレディーブログ

DXJOBのお仕事

アダルトSNS モンロー

 
close